人のように作曲して絵を描くロボット

人のように作曲して絵を描くロボット-1920年Carelčapekの戯曲で’ロボット’という言葉が使われた時だけでも、ロボットは、人の仕事を代わりにする機械だった。 ‘ロボット'(robot)という言葉自体が’労働’を意味するチェコ語’robota’から来ているためだ。

ロボットは、もはや人の仕事を代わりにすることにとどまらない。 自ら判断して環境を認識できる知能型ロボットもあり、人と似ている姿をしたアンドロイド(Android)もある。 そしてここで一ランクさらに進化して芸術の領域まで進出した。

芸術の辞書的意味の一つが’美しさを表現しようとしている人間の活動’だ。 人の活動を人がなくロボットがするということ自体が話にならないと考えられる。 しかし、音楽を作る’クルリタ’と絵を描く’アロン’を見たら考えが変わる可能性もある。

人のように作曲して絵を描くロボット

昨年エール大学(Yale University、USA)でコンピュータ工学を教えていたDonya Quick氏は’クルリタ'(Kulitta)という名前の作曲プログラムを作った。 クルリタを利用して作った音楽はサウンドクラウドを通じて公開されたりもした。

Donya Quick氏はKulittaがどれほど精巧な音楽を作っているのか調べるため、実験を実施した。 音楽に素養のある人100人を対象にKulittaが作った曲と人が作った曲40曲あまりを混ぜて聞かせており、これらに7段階で評価するようにした。

その結果、多くの人がクルリタの演奏曲を’人が作った音楽’に評価した。 この話は人が作った音楽とクルリタの音楽を区分しなかったという意味だ。 コンピュータ・プログラムで作った音楽だが、人が作った音楽のように精巧ということだ。 バッハの曲を分離してKulittaが再び組み合わせて曲を作ったときも結果は同じように現れた。

Donya Quick氏はもう二番目の目標を立てた。 Metallicaとモーツァルトの音楽を混ぜるのだ。 第二の目標はもう少し難しい。 なぜなら、今までは一つのジャンルだけで音楽を作ったからだ。ユーチューブには関連映像が掲載されている。

音楽をつくるのではなく’理解’すること

Kulittaは保存された資料で、ルールを分析して音階を組み合わせて作曲をする。 一種の自己学習方式だが、この方式を利用すれば、今回のようにクラシックだけでなく、いろんな音楽を作ることもできる。

ジャンルが異なるのは、作曲方法とコードの進め方が異なるということを意味する。 人なら、他のこの部分を自然に融合することができるが、番組なら話は違う。

なぜなら、人々は非線形構造に考えをしが、プログラムは線形構造で考え方をしているためだ。 したがって、Kulittaが他のジャンルの二曲を混ぜることためにはそれぞれのスタイルを理解して、ここで適切な組み合わせを講じなければならない。

いい音楽を作ることができるが、Kulittaが作曲家の座を奪うことあるという意見もある。 Kulittaがかなり精巧な音楽を作りだしているためだ。 事実音楽を’創造’するよりも理解して’組合’することに近い。 作曲家はKulittaに働き口を奪われるより、クーリー・打と一緒に作業することができる。

独創的な絵を描くロボット’アロン’

Kulittaとともに独創的な芸術世界を見せてくれるロボットがある。 ‘アロン'(Aaron)というロボットである。 ヘラルドコーヘン(Harold Cohen)エール大学教授が作ったロボットで、アロンは、絵の最初から最後まですべてのことを自ら選択する。

今まで絵を描くロボットは写真に沿って’復元’する程度に過ぎなかった。 しかし、アロンは、すでに保存されている情報を踏まえて自ら色や形を判断して絵を描く。 実際にアーロンが描いた絵を見ると、かなり強烈な印象を与える。

人のように作曲して絵を描くロボット
アロンは、自分だけの独創性を持って強烈な色彩の絵を見せてくれる。 アーロンが2010年’remember hurgess’という名前で描いた絵である。 ⓒHarold Cohen

人の場合、周辺からインスピレーションを得て、これを表現するために多様な試みをすることになる。 表現方法を異にするなどの変数に能動的に対応することができる。 しかし、ロボットは’完成’という一つの目標を持っていて変数に能動的に対応できないし、インスピレーションを得ることができない。

このような状況であるためにアーロンが見せている独創性が注目されているのだ。 アーロンが他の人工知能プログラムと異なることができた理由は、事物と人間の身体構造に関する情報を知っているためだ。

写真の情報を知っているわけではなく、これを分解して一つの要素で作った構造について知っているために人のように独創的な絵を描くことができるのだ。 アーロンが前と見て与えることになる絵が期待される理由がまさにここにある。

人が芸術活動ができるのは見て聞いて話したりして得ることを’それなりに’保存してこれを’自ら’表現できるからだ。 芸術をしているコンピュータも同じだ。 それなりに情報を蓄積してこれを表現する。 お互いに芸術の方式が違うだけで、人とロボットは共に芸術をしている。